2016年03月25日

失うことは解放されること

今朝、台峯緑地で見つけた山桜
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今朝のNHK朝ドラ「あさが来た」の中で、成澤先生が死を意識した新次郎に「慰めになるかどうかは分かりませんが」と前置きして言った台詞が印象に残りました。

生と死というのは違いは無いのです
生があるから死があり 死があるから生がある
この二つは常に一つのリズムとして我々の日常を流れています
そして この身体はただの衣服であり
本当の身体はもっと 奥にある
そしてそれは 永久に滅びません

母が亡くなり母の葬儀があって、死を間近に見てきたばかりなので、タイムリーにフィットする内容でした。

人の人生というのは、ひとつの大きな脚本のようなものだと思います。
一人の人が死ぬことで、死んだ人はその脚本から自由になる。
意識がなくなって、身体がなくなって、「存在」に還っていくのでしょう。
亡くなった人と関わりのあった人はそれぞれ、自分の脚本の中からその人のパートがなくなる。
その時、いなくなったその人の存在が自分の脚本の中でどんな意味を持っていたのかを知ることになる。
大きな存在であればあるほど、その喪失感は大きいけれど、反面、その部分から自由になるとも言えると思います。

失うことは解放され自由になることでもある。
私の実感です。

思えば、これまでの人生でも、その時自分にとって大事だった人やもの、環境などを失う経験があって、その時は失いたくないと抗ったり、悲しみにくれたりしましたが、よく考えてみると、失ったことでぽっかり空いた空間にどこかでほっとするような自由を得たような感覚もまたあった気がします。
私たちは、ともすれば失うことを恐れ、抗い、悲しんだりさびしがったりしてしまいがちですが、そんな時こそ、もっと奥にある感覚に意識を向けたいと思います。



posted by 幸 at 11:29 | Comment(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年02月22日

医者の対応に触れて

しもばしら
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一昨日、生まれて初めて入ったECU(救命救急センター)は、救急車で搬送された人たちが集中治療を受けているところだけあって独特な雰囲気でした。
入る時に体調チェックと消毒、そしてマスク着用が義務付けられています。
面会時間も15分以内と決められています。

母の状態を説明してくれたECUの担当ドクターは、初めてお会いした時、若くて茫洋とした方だなという印象でした。
ドクターの話を聞くために別室に通された時、部屋の中は緊張と不安で張りつめた空気でした。
先生は、母の身に起こったこととその後の状況の説明を、とてもゆっくり、間を置きながら話されました。
一言一言、言葉を選びながら、そして私たちの様子を感じ取りながらお話されているようでした。
はっきり言って、重い内容の話です。
説明の途中、父が、ほんの僅かでも意識を取り戻す見込みがあればと思っているというようなことを喋り始めたのですが、(父の気持ちが痛いほど感じられました)先生はそれに対して、静かに、でもはっきり、それは100パーセントありません、とだけ仰るのでした。
優しい言葉も慰めの言葉もありませんでした。
相手(私たち)の気持ちを感じながらも動じることなく、冷静にゆっくり噛んで含めるような説明にこれは揺るぎない事実だと受けとめざるをえませんでした。
話の途中、ドクターの携帯が鳴りました。ドクターの指示をあおぐ電話が次々入るのだろうと思って聞いていると、切羽詰まった状況なのだろうに、慌てることもなくそのまま静かな口調で優しく指示をされているのでした。

先生は患者の家族に辛い説明や宣告をすることが多いはずで、場合によっては取り乱したり感情的になったりする人たちもいると思われますが、いつもこのニュートラルな態度で対応されているのだろうと思いました。

医者として事実を伝えるのは、時に辛い役割になるはずです。
動揺した相手を前に、自分の感情を入れてしまっては身がもちません。
相手の感情に触れてしまうと収拾がつかなくなるかもしれません。
逆に、慣れから、相手の気持ちに無反応になってしまうこともあるでしょう。
患者側の気持ちを無視した専門家的で事務的な応対に出会ったことが何度もあります。
この先生は、そのどちらでもありませんでした。
超然としたぶれない態度はとても自然で信頼感がもてるものでした。

カウンセラーやセラピストは、医者の役割とは違いますが、それでもこの先生のような態度は必要だと思いました。
posted by 幸 at 20:39 | Comment(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年02月17日

実践からの学び

冬の台峯緑地
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私の周りには、勉強熱心な人が多いです。
年齢を重ねても向上心が旺盛で、自主的に学び続けているって立派です。
学び続ける人というのは真面目で努力家、そして謙虚です。

私は、勉強も好きですが、勉強したことをすぐ実際に活かして行動したいタイプで、コツコツと勉強を続けるのは苦手。研究者にはなれないと思います。

実際に行動することで、分かることはいっぱいある。
問題にぶつかっても、そのことで初めて課題が分かり、勉強する意欲も湧くというもの。
というのが私の持論。

本を読んで理解しても、自分で解決策を探したことにはならない。その知識を使う場所がなかったら、自分の身につきにくいです。
勉強して得た知識は大事だけれど、実際に体験して、自分の力で問題を解決しようと考え模索する過程で、その知識が実感を伴って身についていくと思います。
しかも、実際に役立つ勉強を更にしようという気持ちも自然とでてきます。
それは楽しい循環です。
楽しい循環にはまって成長していきたいと思います。
posted by 幸 at 16:47 | Comment(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年02月16日

肉親も他人も人と人

白梅
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先日「気持ちの代弁者」に書いた件で、今日、担当のケアマネージャーさんにお会いしてきました。
もしかしたら、私のような介護福祉に素人の傾聴ボランティアの意見など聞いてもらえないかもしれないけれど、とりあえず、私が関わっている利用者さんご本人の気持ちを伝えようと思って出かけたところ・・・
案ずるより産むがやすし。思いの外、ケアマネージャーさんは快く迎えてくれて、よい話し合いになりました。
ご本人のこともよく見ておられるし、ご家族のことなど現状を総合的に判断して、一番よい選択肢を探そうとなさっているのが分かりました。
ご本人の気持ちも大事にしたいという思いもしっかり持っておられたので、傾聴ボランティアとして協力させてもらえる感触を得ることができました。
人の善意というのは通じ合うものですね。

行ってよかったと思いました。
傾聴ボランティアを引き受けたら、担当のケアマネージャーさんにはできるだけ早く会って、連絡を取り合いながら動けたらもっといいだろうと思いました。

ところで、今日の会話の中で印象に残ったこと。
「ヘルパーさんや傾聴ボランティアが来ている時、本人の笑い声が聞こえる。自分達(家族)と一緒の時には笑ったことがないのに。」
ご家族が仰っていたそうですが、例え素敵なお家(その方のお家はきれいに整ったお家です)であっても、そんな環境で生活するのは精神衛生上よくないはず。
ケアマネさんの話によると、そんなご家庭が結構多いそうです。家族の関係は実際には冷たいのに、それでも家族を中心に考える人が多いのかもしれません。

家族が仲良く暮らすのが一番だけれど、うまくいかない時もあります。
そんな時、むしろ少し距離のとれる立場の人にできることってあると思います。
人と人との結びつきは血縁だけではないと思う。
家族が一番大事、家族は特別、という気持ちがしっかり根付いている人って多いです。
夫婦であっても、夫婦なんてしょせん他人だから、ともよく言われることです。
でも、血縁と他人とをそんな風に分けてしまうって寂しいなと思います。もう少し広く他人に対して気持ちを開いてもいいのに、と思うのです。
肉親も他人も、人と人なのですから。
posted by 幸 at 15:33 | Comment(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年02月15日

基本的に一人一人違う

大船観音
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あるドラマの結末について、人と感想を述べ合っていた時、その人と私とでは全く逆の感想でした。
そのドラマの結末については、見た後の意見が大きく二つに分かれる、という解説を聞いていましたが、私とは真逆の感想に触れて実際にそのことを実感しました。
意見の違う彼女とはドラマの話はそれきりになりましたが、もし彼女も私と同じ感想だったとしたら、大いに会話は盛り上がり、気分も高揚していただろうと思いました。
実際、同じドラマを見た夫とは同じ感想だったので、二人で大いに感想を述べ合い共感し合ったのでした。それもまた、夫が違う意見だったとしたら、もしかするとお互い不快感をあらわにしたり、口論になってしまったかもしれません。

こんな風にちょっとしたことで、意見が同じだと気分を良くして連帯感を持ち、意見が違うと不快になって気まずくなることって日常よくあります。
小さなことだと、別にどうということなく流せるのですが、自分が強く関わっていることとか、強く思っていることの場合、譲れない!みたいな気持ちが出てしまうことってあります。
そんな時は、自分が何に力を入れているのか、自分自身の思いや考えを改めて見てみるチャンスだと思います。
いいとか悪いとかではなくて、です。

それから、人と違うことで不愉快になった時、思い出したいことは、人と自分とは全く違う世界に住み、違う見方をしているのだ、ということ。
同じものを見ても、一人一人、見方や感じ方って違うもの。それに、自分も含めて、その時々によって見方や感じ方は変わるものでもあります。
最初から違っていると分かっていれば、気は楽です。
同じところを見つけたら、感動ものです。

私たちは特に近しい人(家族や親しい友人)に対しては、自分と同じ見方・考え方をしてほしいと願ってしまうものですが、近い人であっても違うものなのです。
良い悪い、正しい間違っている、好き嫌い、ではなく、とにかく基本は一人一人違うだけだと覚えておきたいものです。
posted by 幸 at 20:46 | Comment(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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