2015年11月16日

「内観の秘法」と「軟酥(なんそ)の法」

江戸時代の臨済宗の僧、白隠禅師が生み出した健康法に「内観の秘法」と「軟酥(なんそ)の法」というのがあります。
最近知って、試してみたところ(といっても、本来の白隠禅師のやり方をかなり私流にしていますが)なかなかよいものだと気に入っています。

簡単にご紹介すると・・・
まず、「内観の秘法」。
朝起きた時と、夜寝る前、ベッドの中で仰向けに横たわって行います。
ぼうっとして、全身の力を抜き、リラックスした状態で、ゆっくり深い丹田呼吸をします。
頭から足の先までからだの各部分に意識を向けていきます。エックハルト・トールが「インナーボディ」と表現した体の中の生命エネルギーを感じていくのです。意識が行った場所に気血が運ばれ、ほどなくその部分が温かくなってきます。冷え症の私は、特に下半身全体を集中して温めるようにしています。

次に、「軟酥(なんそ)の法」。
これは、座って行います。
やり方は、この映像のとおりです。

いすに座ってやってもよいし、私は先日、坐禅の時にこのイメージングをしてみました。その日、少し頭が痛くて気分がすぐれなかったのですが、坐禅が終わるとすっかり爽快になっていました。

イメージングと馬鹿にするなかれ。とてもパワフルです。試してみて下さい。
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2015年07月28日

くらしのこよみ

私のスマホには「くらしのこよみ」という無料アプリが入っています。
これは、一年を二十四節気に分けて、さらにそれぞれの節気を5日ずつ3つに分けた七十二候を知らせてくれるもので、5日に1回、更新されます。
その季節を堪能できる俳句や旬の食べ物など、美しい写真入りで紹介されるのをいつも楽しみにしています。

今朝は「大暑」の第三十五候「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」になっていました。
35-1961x1024.jpg
この候の説明は以下のとおり。

地面からは陽炎(かげろう)が立ち上り、土いきれで吸う息も熱く感じられます。この暑さを人間は冷たいもので暑気払いをしたり行水や打ち水でやり過ごすしかありませんが、木や草花はますます緑を濃くし、枝を伸ばし葉を広げて夏を謳歌するかのようです。田畑では太陽の恵みを享受した作物が実りの秋に向けて育っていきます。

生活していて感じることですが、私たちの今使っているカレンダーや暦より、この七十二候が一番季節を正確にあらわしている気がします。実感として今の季節にぴったり合っているので、更新される度に驚いている程です。
自然の中に四季の移り変わりを感じながら生活してきた日本人の感覚や昔からの知恵みたいなものが伝わってくるし、それを私の生活で確かめることができる。このアプリのおかげで、少し豊かに暮らせる感じ。
この素晴らしいアプリを無料で提供してくれている「うつくしいくらしかた研究所」に感謝です。
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2015年02月18日

吉野弘の眼差し

昨年亡くなった詩人、吉野弘さんが、先日のNHK「クローズアップ現代」で紹介されていたそうです。
今朝、友人から彼の「祝婚歌」の紹介があって知りました。
何気ない日常や光景の中に、人間の弱さや優しさ、他者とかかわって生きることの意味を歌った詩人。よし

彼は、戦前、軍国青年で、国の為に命を捨てる覚悟をしていたのが、終戦でその価値観を根底から覆されました。絶対的な価値観などないと気づき、詩人になる決意をしたそうです。
私の父も全く同じ体験をしていて、その時受けたショックについて語っているのを聞いたことがあります。
(父は詩人にはなりませんでしたが)
その時の思いを綴った文章が書斎から発見されたそうです。

“人間は、その不完全を許容しつつ、愛し合うことです。
不完全であるが故に退け合うのではなく、人間同士が助け合うのです。
他人の行為を軽々しく批判せぬことです。
自分の好悪の感情で、人を批判せぬことです。
善悪のいずれか一方に、その人を押し込めないことです。”

その気持ちを持ち続け、人間に優しい眼差しを向け続けた生涯だったのだと思います。
とても共感します。

 「生命は」

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻あぶの姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための虻あぶだったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない
posted by 幸 at 19:14 | Comment(4) | いいね | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2014年11月03日

これでいいのだ

家に帰ってから、うちにあった「いろはにほへと」を読み返して見つけた文章。

それでいいではないか

われわれは普段、迷い・悩み・苦しみがすべてなくなって、やがて悟りがあらわれるとついつい思い描いてしまいますが、そんな迷いなどが全部なくなって安心が得られるというのは絵空ごとであります。

そういう悩み・苦しみなどを全部ひっくるめて「それでいいんだ!」と認めていくことが大切であります。

悩み・苦しみは皆すべて天地自然からたまわったものとして受け止めていく。余計なものは何一つありはしない、いろいろなことがあるけれど「それでいいんだ!」とこう受け止めていく。

結局は「只今の自分というものを、どう受け止めていくか?」であります。地位、財産、深い悟りなど、自分には何か足りないと言いだすときりがありません。
只今の自分は、こんなに尊い心と体をいただいている!今こうして生かされているということ、ここでこうして坐っているということ、ここでこうして座っているということ、こうして話を聞いているということ、寒さを肌で感じているということ。これ以上尊いことは、どこにもありはしないのであります。

そう徹することによって、初めて安心という安らかな気持ちになれるのであります。

まあ、いろんなことがあるけれど、それでいいのではないか!であります。

「いろはにほへと」(横田南嶺管長 ある日の法話より)

バカボンのパパ.jpg
posted by 幸 at 17:20 | Comment(0) | いいね | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2014年09月20日

Just the Two of Us

ノルウェー出身の作曲家・ピアニストRolf Lovlandとアイルランド出身のバイオリニストFionnuala Sherryとのユニット、シークレット・ガーデンのCDをよく聞いています。
最近、欧米で発売されたアルバム「Just the Two of Us」を購入しました。

以前はオーケストラを背景に入れた演奏が殆どだったのが、今回のアルバムは、その名の通り、ピアノとバイオリン2人だけの演奏になっています。
なじみのある曲も一味違う深さが感じられます。
2人のコミュニケーションの中に濃厚なエッセンスが詰まってる感じ。
2人だけで作り上げた音楽のピュアな表現。

posted by 幸 at 21:57 | Comment(0) | いいね | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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