2015年11月30日

クリスマスホーリー

この季節、道を歩いていると、赤い実が目につきます。
クロガネモチとか、イイギリとか、南天とか、センリョウとか・・・
名前を知らない赤い実も多いです。
赤い実を見ると、冬が来たな〜と感じますね。

我が家のバルコニーにはクリスマスホーリーが実をつけています。
1カ月ほど前、色づき始めた頃。
クリスマスホーリーIMG_0966.JPG
そして、真赤に色づいた今現在のクリスマスホーリーをヘッダーの写真にしました。

11月も今日で終わり。明日からは12月。今年もあと1カ月になりました。
何やかやと気ぜわしい師走ですが、赤い実を見るとふっと心があたたかくなります。
冷たい北風の中にあっても、赤い実はこれまで蓄えた力を含み、次の世代のエネルギーに充ちているような。
posted by 幸 at 20:38 | Comment(0) | 歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年11月29日

Oさんのこと

先日の朝の虹
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うちのマンション内の我が家の近所に、私と同じ世代で一人暮らしの男性Oさんが住んでいます。
鼻歌を歌いながら歩いておられるかと思えば、とても真剣な表情で闊歩されていたり、可愛らしい買い物かごを持ってスーパーに向かわれたり、時々エレベーターで一緒になるとお茶目な発言をされたり、少し浮世離れした不思議な方だな〜という印象がありました。
Oさんは臨床心理士だということだけ知っていました。

先日、ひょんなことからOさんと親しくお話する機会がありました。
偶然、スピリチュアルケアのことに触れて、一気に距離が縮まったのです。
Oさんのお家を訪ねさせていただき、その後、我が家のランチにご招待したのでした。
お話をうかがってみると、Oさんは相当な臨床心理学の専門家で、これまで精神病院などでお仕事をされていたこともありますが、今はご自宅で開業されていて、心理学の研究をずっと続けておられるということでした。
お話は昔ながらの文学青年という感じ。学問の世界、臨床心理学の世界という狭い世界の中で本質や真実を追求している方のように見受けられました。それだけに、つまらない社会通念や常識に汚れないまま年を重ねられ、ピュアなハートと自由な感覚を維持しているのが分かりました。

Oさんの専門分野は臨床心理なので、人の心、精神に大いに関心が向いていると思いますが、私もまた同じ。でも、どうしてでしょう?向かう姿勢が違う気がします。私は世間の中で周りを気にしながら生きている人間なので、私からすると、彼のような人は一見とても違う人種に映ります。
でも、よく話をしてみると、心の奥にあるものは同じなのでした。

一緒にお昼ご飯など食べながら歓談できてよかった。
マンションが同じといっても、殆ど挨拶程度のつきあいしかない現状です。
住む年数が増えていくと顔は覚えていくけれど、どんな人かは見かけの印象だけです。
何かないと親しくならないし、寧ろ適当な距離を保って暮らすことを心がけているようなところがあります。
今回のようにちょっとしたきっかけで話をするようになり、お互いをもっとよく知るようになると、思いがけない発見があるものだと改めて感じました。
posted by 幸 at 17:15 | Comment(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年11月25日

人の尊厳を大事にする

小菊
小菊.jpg

先日、NHK教育「こころの時代」に、淀川キリスト教病院ホスピス病棟で管理栄養士をされている大谷幸子さんが出てこられて、リクエスト食のお話をされていました。
リクエスト食というのは、余命僅かなホスピスの患者さんに、食べたいものを聞いて提供する取り組みです。この病院では、週1日、リクエスト食の日を設定しているといいます。
食べることと生きることは非常に密接につながり合っている。
ただカロリーや体に必要な栄養素を補給するという考え方ではなく、その人にとって食べることを楽しんだり食べること自体を喜びにする、すなわち食事を通して生活の質を高め、その人らしさを支えるという考え方です。
命に限りがある患者さんが望むメニューは、人生を凝縮した、思いの詰まったもののようです。

リクエストした天ぷら定食を前に喜ぶ患者さんの眼はいきいきしていました。病院食と思えない本格的な天ぷら盛り合わせです。一口一口、味わって食べながら側に付き添うご家族と談笑されている様子は、とても末期がんの患者さんとは思えませんでした。
治療の為に生ものを何年も食べてこなかった患者さんが、バッテラを注文しました。食糧難で苦しかった時代、安かったバッテラでしのいでいるうちに大好物になったといいます。その生きた証のバッテラをリクエストしたその人は、3年ぶりのバッテラを全部平らげたそうです。
リクエストしてもほんの一口しか食べられない人も多いそうです。ラッキョウ2粒だけ注文した人もいて、その理由を尋ねようと思っていたら、直後に亡くなってしまった話もありました。

生命を維持するために必要最低限を充たすのではない。その人が自分で食べたいものを選んで食べる手伝いをすることで、その人のいのちの輝き、充実を大事にする。
リクエスト食の提供には、人の尊厳を大事にし、人が人に与えられる本当の愛や優しさが感じられます。

傾聴ボランティアが出向いてお話を聴くのも、同じ意味があると思いました。
実際に世話をするのではなく、ただのお話相手。なくても生きてはいけるでしょう。
けれど、年老いて体は思うように動けず、介護を受ける立場になっても、人は自分の大事な部分をそのまま維持して自分らしく生きたいと願っているものです。そして、それを人と分かち合って確認できたら、どんなに生きる力を得ることでしょうか。
その人の本当の姿に敬意と親しみをもって話を聴く。傾聴を通して触れ合うことで心が和み、笑顔が交わされ、活力を得ることができたとしたら、それもまた、その人のいのちの輝きを大事にすることになると思います。
posted by 幸 at 07:46 | Comment(0) | 傾聴ボランティア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする