2015年06月30日

死を受け入れる

今朝咲いたスイレン
すいれん6.30.jpg

自分の死期が近いことが分かった時、人は何を思うのでしょうか。

私が今、傾聴ボランティアとして関わっている方は、まさに死を目の前にした方です。
病状は進み、薬の影響もあって、すでにお話されるという状態ではなかったのですが、今日訪ねてみると、思いがけず色々なことを語ってくださいました。

自分の最期が近いと分かる、と穏やかに仰るので、
「そうですか・・・ずいぶん落ち着いておられるようですね」と言うと、うなずいて、「楽になったよ」と。
私を見つめる目は澄んでいました。
死を受け入れている様子に、不思議と悲しさはありませんでした。

声は微かで途切れがち、そして、沈黙している時間も長く、時折、眠ってしまわれたりもするのだけれど、語られる言葉ひとつひとつの奥に、言葉と言葉の間の沈黙に、深い意味が感じられました。
それを味わいながら、一緒に静かな時を過ごしました。

「いい人生だったと思う」とはっきり仰いました。
安堵感は私にも伝わりました。

帰る時、「楽しかった、ありがとう」と、やはりとてもはっきり仰るので、「私もとても楽しかったです。ありがとうございました。」と心から言いました。
posted by 幸 at 17:31 | Comment(2) | 傾聴ボランティア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年06月29日

向き合う姿勢

接骨木(ニワトコ)
接骨木.jpg

「精神分析とユング心理学」の中にこんな一節がありました。

不思議なことだが、クライアントの心が発する声に耳を傾け、クライアントの心を受けとめ続けていると、クライアントの心はやがて、明らかに「変容」の動きを始めることとなる。・・・(中略)・・・
変容のプロセスそのものに関しては、心理療法家(セラピスト)はこれを「見守り」、「共にいる」ことしかできないと言ってよいであろう。
心理療法家(セラピスト)は、プロセスの方向を意図的に調整したり、導いたりすることはできない。
大層頼りないことだが、心理療法家(セラピスト)は自らの心をもって、クライアントの苦痛や不安を共に感じながら、クライアント自身の心の変容のプロセスに同行、すなわち変容の道を共にすることしかできないのである。
それでも人間の心とは不思議なもので、この「何もできない」「頼りない」心理療法家(セラピスト)のもとでこそ、クライアントの心は自身の道を少しずつ見出してゆくようであるし、「何もできず」ただ「耳を傾け」「受けとめ」続けるだけの心理療法家(セラピスト)の同行のもとでこそ、クライアントの心は、実に、初めて「変容」を始めることができるようである。

内側ではクライアントの世界をしっかりと感じて受けとめていながらもユングがいうところの「自律的な変容のプロセス」を信頼し、外からの誘導や助言によって邪魔することなく、見守り続けること。
ロジャーズの来談者中心療法の要もそこにありました。

私は心理学の専門家ではありませんが、少し心理学をかじってみると、まさに私が「傾聴」として意識していたものと同じであることが分かりました。

ただし、福祉の領域である「傾聴ボランティア」の行っていることは、もっと臨機応変に幅広くお話を聴くものなので、臨床心理的な「傾聴」とは異なります。
ですが、相手を受けとめる姿勢、寄り添う姿勢は同じです。
そして、驚いたことに、心理療法もまた、一番大事なポイントは、この姿勢なのでした。
傾聴ボランティアでは、変容を期待していない分、純粋に寄り添う時間を積み重ねることができたように思います。
posted by 幸 at 18:43 | Comment(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年06月27日

sometimes when it rains

小雨の朝。
開けた窓からの湿気を含んだ風を感じながら、朝食をとっているとき。
音楽はバックグラウンド的によく聞いている「Secret Garden」の曲。
特に音楽に耳を傾けていたわけでもないのに、ふと、ヴァイオリンの旋律が入ってきました。
音の波動がすうっと入ってきたという感じ。
心に沁みる音色です。
曲名は Sometimes when it rains.
今朝にぴったりのタイトルでした。
posted by 幸 at 07:14 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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